女性アイドルグループの変遷、昭和から平成へ
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昭和生まれのオジサンにとってアイドルグループと言えば、キャンディーズやピンク・レディーだ。
キャンディーズやピンクレディが活躍したのは、1970年代後半で、まさに昭和アイドルだ。
当時はキャンディーズやピンク・レディーの成功によって、2人組や3人組のアイドルグループが、雨後の竹の子のように誕生した。
キャンディーズの所属事務所(ナベプロ)では、2代目キャンディーズとして「トライアングル」という三人組アイドルを売り出したし、別の事務所ではピンク・レディーを真似た2人組アイドル「キャッツ★アイ」を売り出し、そこそこの人気があったね。
キャンディーズ メドレー動画
90年代以前は、ミュージックビデオは作られないのが普通だったので、テレビ番組です。
80年代の女性アイドルグループ模様
しかしキャンディーズが後楽園球場で解散コンサートを行い、ピンク・レディーも解散して80年代に入ると、個人の女性アイドルが人気を集め始めた。
松田聖子や中森明菜を筆頭とした、かわいこチャンアイドルが、荒井由実や井上陽水などのニューミュージック系アーティストから楽曲提供を受けて、大人気となった。
この頃は、小泉今日子、早見優、松本伊代など、多くの女性アイドルが人気になり「花の82年組」と呼ばれたりしたが、女性アイドルグループは人気が無かったね。
そのあとに登場したのが、1985年の「おニャン子クラブ」と派生ユニットで、そのあとはWink(ウインク)といった女性デュオが人気を博したくらいだった。
その後、第二のおニャン子クラブを狙う動きもあったし、少女隊やセイントフォーなど、大手芸能事務所が女性アイドルグループを売り出していたが、なかなか売れなかったね。
おニャン子クラブ ライブ動画
900年代の女性アイドルグループ模様
1990年代に入ると、東京パフォーマンスドール(TPD)が誕生し、ライブ活動を中心に行う女性アイドルグループが誕生した。
TPDはヒット曲に恵まれなかったが、フロントメンバーには篠原涼子、研修生には仲間由紀恵などが所属していた。
TPDに感化されて、大阪でも吉本興業が大阪パフォーマンスドール(OPD)という姉妹グループを立ち上げたが、大きな成功には結びつかなかった。
東京パフォーマンスドール 横浜アリーナ公演 動画
一方、女性アイドルグループとして人気を集め始めたのが、沖縄アクターズスクール出身の、スーパーモンキーズ(5人組)だった。
スーパーモンキーズは「TRY ME 〜私を信じて〜」という70万枚の大ヒット曲をだし、安室奈美恵がソロに転向したあとは、MAX(マックス)という別グループとして活動を続け、ヒット曲を連発した。
MAXはアイドルではなく、大人の女性グループとして売れた。
安室奈美恵withスーパーモンキーズ メドレー動画
そして1995年に登場したのが、沖縄アクターズスクールの後輩であるSPEED(スピード)で、小中学生の4人組でミリオンヒットを連発するという離れ業を見せた。
SPEED MVメドレー動画
そして1998年初めには、いよいよ、モーニング娘。がメジャーデビューする。
モーニング娘。は、1999年に「LOVEマシーン」をリリースし、これが164万枚を売り上げる大ヒットとなったことで、国民的アイドルグループの地位を得た。